[時事問題] クーデター・革命・反乱 の意味の違いは?日本の歴史と照らし合わせてみよう

学習

こんにちは、管理人あいです。

ミャンマーでクーデターが起きたとニュースになっていますね。

今回は、そのクーデターの内容よりも今まで出てきた「クーデター・革命・反乱」という言葉のそれぞれの意味をきちんと整理していきます。

さらに日本でクーデターなどが起きているのか紹介していきます。

クーデターとは「暴力的な手段を使って引き起こされる政変」のこと

暴力的な手段を使って引き起こされる政変のことをクーデターといいます。

これが武力を使ったものになると『軍事クーデター』となります。

これは指導者や政治の中心グループなどの交代をのぞむもので自分たちが政治などの中心になって組織を動かそう、とするものですね。

2月6日現在、ミャンマーで起きている事件もこのクーデターです。

では日本の歴史でクーデターとはどういうものになるのか、中学生で習う歴史で説明します。

645年 乙巳の変(いっしのへん)
中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を殺害したことです。
これを機に中大兄皇子と中臣鎌足によるいろいろな改革を行ったことが『大化の改新』となります。
乙巳の変はその第一段階です。

→それまで蘇我氏など豪族が政治の中心でしたが、大化の改新で天皇中心の政治へと移っていきました。

1582年 本能寺の変
明智光秀により織田信長が殺害されました。

→織田信長の嫡男も自害したため、羽柴秀吉が豊臣政権を構築していくきっかけとなりました。

1867年 王政復古の大号令
明治天皇より王政復古の大号令が発せられ200年を超える徳川幕府が終わりとなりました。
同時に700年続いた幕府の政治も終わりを迎えたわけです。
他にも平安時代から続いた摂政や関白なども廃止になりました。

→1867年12月、長州藩の人間が幕府の人間を御所内にいれないようにしてその間に明治天皇が王政復古の大号令を発しました。これで政権が天皇に戻ったということです。

1932年 五・一五事件
武装した青年将校たちにより、内閣総理大臣犬養毅を暗殺しました。

→もともと政党や藩閥を倒し、軍部中心の政府を作ろうというのが目的の事件でした。この後、軍人が政治に介入するようになっていきます

1936年 二・二六事件(未遂)
一部青年将校たちが約1400人を率いて政治の重臣たち数名を殺害したこと。当時の岡田首相は難を逃れ無事だった。昭和天皇が軍に指示し、事件は鎮圧されたため未遂となった。

→貧富の差の拡大などの問題を解決するためによって若手将校たちが新しい国家をつくろうと立ち上がった事件。結局この事件を鎮圧した軍部の政治への発言力が強まり、軍国主義が強まっていきます

革命とは「民衆の力が源となり古い体制を壊し新しい体制を構築していく」ということ

民衆の力が源となり古い体制を壊し新しい体制を構築していく、というと有名なのはフランス革命ではないでしょうか。

1789年に一般市民が団結してたちあがり、バスティーユ牢獄を襲撃しました。

その後、国王ルイ16世と王妃マリーアントワネットが処刑されナポレオンが新政府を立ち上げることになるのです。

日本の場合だと革命と言われるものの代表がひとつあります。

1221年 承久の乱
後鳥羽上皇を中心とした朝廷と北条義時を中心とした幕府軍が戦いました。

後鳥羽上皇が政権を朝廷に取り戻そうとして起こした乱ですが幕府軍に負けてしまい島流しになってしまいます。

これにより幕府は六波羅探題を設置し朝廷を監視するようになります。

また朝廷はその力がどんどん弱くなっていき、幕府が強大になっていきます。

新天皇を立てるときも鎌倉幕府が口出ししたそうですからその権力の強さはすさまじいものだったと思います。

反乱とは「権力や支配者に背いて武力行動を起こす」こと

権力や支配者に背いて武力行動を起こすという行動は日本でもいくつか起きています。

中学校の歴史で習っているものの中で有名なものとしては

島原の乱・大塩平八郎の乱 ではないでしょうか。

1637年 島原の乱
島原藩主の松倉勝家による悪政が原因で天草四郎を総大将として乱が起きます。

→乱の後、松倉勝家の悪政が幕府に知れるところとなりました。必要以上の税の取り立てや厳しい拷問がバレたのです。

結果、松倉勝家が島原の乱の原因ということで処罰されました。

ちなみに江戸幕府はキリスト教信者が暴動を起こし始めたとしてキリスト教の弾圧を強くします。

これがのちに踏み絵などにつながっていくわけです。

1837年 大塩平八郎の乱
天保の大飢饉により大凶作となりました。その上豪商たちが米を買い占めたため一般の人たちが
どんどん飢えていきました。そこで大塩平八郎が立ち上がり武装蜂起を考えたのです。

→武装蜂起を考えていたのですが密告され鎮圧されてしまいます。

結局大塩平八郎は妻子と共に自決してしまいました。

しかしこの件をきっかけに全国のあちこちで騒動が起きたそうです。特に大塩平八郎の乱が起きた大阪では町奉行の役人が市中を見回るようになったそうです。

まとめ

厳密には、クーデターとされているものも革命と言える、ということもありますが、ざっくりとまとめてみました。

クーデターは「暴力的な手段を使って引き起こされる政変」のこと、

革命は「民衆の力が源となり古い体制を壊し新しい体制を構築していく」ことで

反乱は「権力や支配者に背いて武力行使を起こすこと」です。

今までなんとなく、の知識が整理できたのであれば嬉しい限りです。

お読みいただいてありがとうございました。

コメント