こんにちは、管理人あいです。
2020年、関東から関西に越してきて週2回パートで個別指導塾の講師をしています。
大学を卒業してから約20年間、民間の教育業界でフルタイムで働いてきましたが、病気になったのを機に退職。
現在では基本的に家にひきこもりのアラフォーです。
主人とネコ2匹(よもぎとさくら)が家族です。
みずがめ座のO型。
マンガ、映画、音楽、歴史が趣味。
家庭科、スポーツ、は苦手です。
子ども時代ー算数が全くできなかった
生まれは群馬県。
通っていた幼稚園では算数の問題をやらされましたが先生の言っていることが理解できず、それは小学校1年生になっても変わりませんでした。
足し算の繰り上がりの意味が理解できないのです。
足して答えが10以下であれば、両手を使ってなんとかなりますが、10を超えたらもうわかりません。
担任の先生が、黒板に
9+3=
と大きく書いたんです。周りの子は「わかった!!!」と勢いよく手を挙げますが私はまったくわからなくて俯いてばかりいました。
小学校のテストでは平気で30点台をとる始末で母親に怒られたのを覚えています。
小学1年生で30点はなかなかいないですよね。
小学3年生の時に新潟県へ引っ越し
小学校3年生のとき、母親の実家の新潟県に引っ越すことになりました。
そして新天地での学校の授業が面白くて、今まで俯いていたわたしが積極的に挙手をするようになります。
新しい担任の先生の国語の授業が面白かった
先生の授業はとても面白かったです。特に国語は教科書をほとんど使った記憶がありません。
ある短い詩を黒板に書くと、「この詩の作者の視点はどこにあるのか」をわたしたちに問いかけ、議論し合わせるのです。
誰かが「作者の視点は●●にあると思います。なぜなら、~だからです!」と発表すると、反対意見が出ます。
「××くんは間違っていると思います。作者の視点は〇〇にあると思います。なぜなら~だからです。」
この討論は子どもながらに非常に楽しかったです。正解はどこにもない。おそらく作者本人しかわかっていないと思うのですが、たった数行の文章から想像力を働かせて意見をぶつけ合う。
先生は誰の意見に反対するでも賛成するでもなく、ただ授業を進行していきました。
そして引っ込み思案でモジモジしていたわたしが、挙手をして自分の意見をいうようになっていました。
思えば、あの授業を経てわたしは変わる一歩を踏み出せたと思うのです。
母親からのスパルタ教育を受ける
新潟に転校したころには少し勉強がわかるようになって30点台ということはなくなっていましたが、それでもまだまだ、という感じでした。
ここで立ち上がったのが母親です。
「お母さんは算数数学得意だから!!!」といって毎週日曜日の昼間、スパルタ塾が始まりました。
算数の教科書やドリルをもってきて母親の目の前で解かなければなりません。
計算はともかく文章題が全くわからなくて、そうなると母親が怖くてベソベソ泣き出していました。
すると「なんで泣くの!」とビンタが飛ぶ。今思い出しても強烈です(笑)
毎週日曜日が憂鬱でしたが、おかげで「算数がわからない」ということはなくなりました。
やり方はともかく、あのスパルタがなかったらわたしの塾講師としての今はなかったと思います。母親には感謝してます。
裁縫をして熱を出す
母親は裁縫が好きで、私たち姉妹のワンピースやらをミシンを使って縫ってくれました。
わたしは裁縫だのに全く興味がなかったのですが、ある日ボタンのつけ方を教えてあげるから、と言われしぶしぶ教わっていました。
しばらく経つと母親が「あんた!顔真っ赤じゃないの!」と言ってきました。
なんと発熱してました。
家庭科嫌いはこのころからですね。主婦としてダメなのは子どもの頃が原点かもしれません。
父親は優しく、歴史の話をしてくれた
新潟に引っ越してからというもの、父親は単身赴任となり月に1、2回新潟に来る生活でした。
寝る時は、いつも歴史や日本神話の話をしてくれました。
父親は日本神話とか邪馬台国とか古墳や神社とか大好きで、そういう本ばかり読んでいたのです。
自ずとわたしと妹も歴史に興味を持つようになりました。わたしは当時は古代エジプトが大好きで、妹は日本史に興味を持っていました。
今、わたしは日本史好きですが、明らかに父親の影響です。たまに塾で歴史を教えることがありますが、専門の英語よりウキウキして教えています。
高校卒業後、アメリカのコミュニティカレッジへ
高校は地元でもまあまあの進学校に進みました。
最初は、(こんな田舎を出て)東京の歴史学科のある大学を受験しようと考えていました。
予備校にも通い、模試なども受けてはいました。
ところが担任に「歴史を4年間勉強してそのあとどうするの?今しかできないことを勉強したらいいんじゃないかな。歴史は過去を勉強するものだから、未来を知る勉強をしたほうがいいと思う」と個人面談のときにアドバイスされました。
そのときは先生になりたいと思っていなかったので、「確かに歴史学科を出たあとどうしよう・・?」と考えてしまいました。大学卒業後の未来が想像できなかったのです。
そして、歴史と同じくらい興味のあった国際関係の方に進みたいと思うようになり、結局留学することを決めました。
こうして高校卒業後、渡米することになります。
引っ込み思案の地がでてしまう
ホームステイ先の人たちとはなんとかコミュニケーションはとれましたが、他のアメリカ人たちと会話するのは苦手でした。
「発音が伝わらなかったらやだな」
「同じ日本人の前で英語聞かれたくないな」など、つまらないプライドが邪魔をしてどうでもいいことで怖気ついてました。
このころになると、群馬にいたときの暗い部分が表にでてきてしまっていたように思います。
それでも、世界から集まった留学生たちが受ける英語のクラスは楽しかったです。
みんな英語がたどたどしいので、「みんな同じレベルじゃん」と思えたのですね。
留学先では、旅行学科を専攻しました。日本人がわりと多く受講していました。
なんとか単位を取得して、2年半(英語学校を含む)を終えて帰国することになります。
いろんなものが見れたし聞けた世界でもあり、同時に少し「YES/NOがはっきりしているのって合わないなぁ、グレーがあるほうがいいなぁ」と思いながら過ごした場所でした。いいこともそうでないことも経験でき、また改めて自分がどういう人間なのかを客観視することができて良かったと思っています。
帰国後ウエイトレス、悪徳会社を経て教育業界へ
帰国後は「英会話を忘れたくない」という理由で、喫茶店でウエイトレスのバイトを始めました。
時折外国人の方が見えるので、英語での会話を楽しみました。
そんな生活に怒りの鉄槌を下したのが母親です。
「あんた仕事探してるの?就職もしないでフラフラと・・!旅行会社の仕事さがしたの?」
怒られました(笑)
旅行会社の求人はほとんどなく、そんな日々が1年過ぎたときさすがにヤバいぞ、と思ったころ
『海外輸入代理店をやりませんか』という求人を見つけました。
「海外」「輸入」という言葉で「留学経験が生かせるかもしれない!」と飛びつき、面接しました。
嘘くさい悪徳輸入代理店(テレアポ)
仮入社という形でしたが、何をするのかと思ったら目の前にドサッと紙の束が置かれました。
見るとタイトルに「映画アンケート応募者」や「高級基礎化粧品購入者」、「〇×県出産女性データ」などが書いてあります。
え?なにこれ?と思っていると課長が「これに1件1件電話して、オッケーをもらったお宅にはハガキを送って。ハガキが届いたころにまた電話して、輸入代行システムを買ってもらえるようにトークで盛り上げて」と言ってきました。
電話?システムを買ってもらう?というかこのリストはどこから流れてきたんだ・・?と色んな疑問が湧きましたが黙って聞いていました。
電話を掛けると、
「なんでウチの電話番号知ってるんですか!どこから聞いたんですか?」と怒鳴られ、
「そういう話は結構です。失礼します。」とガチャ切りされたり。
この輸入代行システムの悪徳テレアポについてはいずれ改めて書こうと思います。
こうして3か月の試用期間を待たずして見事退職することになります。
学習アドバイザーの募集に出会う
悪徳会社を退職したあと、「学習アドバイザー募集」という求人を見つけます。
勉強を教えるのではなく、生徒と電話とFAXでやりとりをし、生徒に合う勉強の計画を立てる、という業務内容でした。
前職の「電話で怒鳴られ、ガチャ切り」で電話に対してかなり恐怖心を抱いていました。
ところが、生徒さんの家に電話をかけると親御さんが
「まあ、いつもお世話になっております。」と言ってくださるではないですか。
「前任に代わって〇〇ちゃんを担当することになりましたのでよろしくお願いします。」というと
「こちらこそよろしくお願いします。」とお返事がいただける。
いきなり感謝から始まって、本当にうれしかったのを覚えています。
この感謝を失望に変えてはいけないと、改めて新潟県の入試システムを見直してみたり、数学や英語の勉強をしたりしました。
そして、子どものときにもらったウサギのぬいぐるみをモデルにしたイラストを添削したプリントにサラサラと描いていたら、子どもたちも大変喜んでくれました!
これは今でも描いています。
Fax指導、英会話講師、個別指導講師と部署異動した結果
それぞれの業種を経験させてもらって、担当した生徒の数はのべ2000人を超えます。
生徒に対して、自分はどういう立ち位置で接するべきか考えたり、どうしたらやる気にさせられるのか同僚と相談したり。
生徒の親御さんと子どもの家庭での様子を聞いたり心配なことを聞いたり、たくさんのことをお話してきました。
今はパートで週2回という立場ですが、ここでも個別指導塾の講師をやっています。
自分自身が学生時代勉強ができなくて困ったこと、進路で悩んだこと、そして塾講師を経て生徒さんや親御さんから学んだこと。
また、後輩が入ってきて育成する上で学んだことなどたくさんあります。
一方で、世間一般の常識に欠け家事に悪戦苦闘している主婦としてのわたしもいます。
こんなわたしが「塾講師」「ダメ主婦」と二足のわらじを履きつつ、経験したことを発信できたらと思っています。
お読みいただきありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。